日本最古の梵鐘
太宰府天満宮に行く前にガイドさんの案内で立ち寄った「大宰府政庁跡」 ただの広場のようですが、由緒ある場所なんだそうです。 高校時代は日本史を専攻していたものの、今となっては歴史には全くといっていいほど知識がないので、以下は大宰府観光協会のホームページからの引用です。 平城京、平安京に次ぐ、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)の跡 7世紀後半、大和朝廷は那の津の官家(みやけ)をここに移し、奈良・平安時代を通して、九州を治め、我が国の西の守り(防衛)、外国との交渉の窓口となる役所(大宰府)とした。その規模は平城京、平安京に次ぐ大きなものであり、南北22条、東西24坊の都市計画があったという学説がある。万葉集には”遠の朝廷(みかど)”と詠まれ、その規模をしのばせる立派な礎石が残 り、そこを中心に門や回廊、周辺の役所跡等が整備されて、現在は公園となっている。 続きを読む